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フランスでの小さな日常のメモ

クロード・フランソワを知らなかった

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クロード・フランソワを知らなかった

先日、「La folle histoire de Cloclo」というクロード・フランソワのドキュメンタリーを見ました。

私はよくフランスの懐メロ放送を聴いていて、フランスの歌(懐メロ限定)はいくらか知っていますが、歌手の顔と名前はほとんど知りません。

クロクロことクロード・フランソワについても、歌は知っていましたが、顔も名前も知らなかったどころか、なんとなくカルーセル麻紀のような女性をイメージしていました。まあカルーセル麻紀は元男性なので、当たらずとも遠からずですかね。

関係ないですが、カルーセル麻紀のカルーセルが「回転木馬」という意味だと、フランスに来てから知りました。

当時(1960年代)ジョニー・アリディと女性人気を二分するほどのスターだったそうで、若いころはかなりチャーミングな容姿、ですが、関係者によると、彼は精神的に厳しいものを抱えていたようで、表情にも、そのちょっと神経質そうな感じが表れているように思います。

一時期付き合っていたフランス・ギャルと別れた後、彼女との日々を歌った(らしい)「Comme d'habitude」という曲が、その後フランクシナトラが歌って大ヒットとなる、「マイ・ウェイ
びっくりしました‥これを知らなかった自分に。フランスのこと、もっと知ろうよ自分。

ただ歌詞は、マイ・ウェイとも、今~船出が~とも全く違い、さりげなくて、私は好きです。

70年代のフランスにディスコミュージックを広めたパイオニア、でもあるそうです。
ディスコの語源がフランス語の「ディスコテック」から来ていたとは知らず‥もう世の中知らないことばかりです。

『Alexandrie Alexandra 1977』 Youtubeにとびます。
当時の関係者が、初めて歌詞を見た時、わけわかんないけど何だかすごい!と思った、らしいです。
私はこの曲が流れると、フランス人全員が踊りだすと信じて疑わない。
そして、彼はこの歌(シングル盤)を発売する数日前に、惜しくも不慮の事故で亡くなってしまいます。

写真は、近所の公園で撮ったボンボン(飴玉)のようなお花(吾亦紅と教えてもらいました)。

フランスギャルによるミッシェルベルジェ

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フランスギャルによるミッシェルベルジェ

昨夜、「フランス・ギャルによるミッシェル・ベルジェ」という番組を見ました。

フランスギャルというと、私はすぐにゲンズブールの曲を思い出すのですが、Gにはそっち(アイドル時代)はあまりピンとこないようで、フランス・ギャルといえば、後の私生活のパートナーにもなったミッシェル・ベルジェの曲のようです。

Gによる一言メモ...スターマニア(ロック調のスペクタクルオペラ?)を作った。すごい才能の持ち主だったのに、若くして亡くなって残念。

シンガーソングライターである彼は、彼女以外の人にもいろいろな歌手に曲を作り、自身も歌っています。

私は、彼の名前も曲を作った歌手のこともほとんど知りませんでしたが、曲はどれも聴いたことがあって、あの曲も?これも?と、私の知ってるフランスの曲は全部この人が作ったんじゃないかと思うほどでした(そんなことはないだろうけど)。

初めて歌詞付きで歌を聴いて、彼の言葉がとてもシンプルで、だからこそ伝わってくる強い力があると感じました。そして、ベルジェの曲に、なんとフランス・ギャルの歌声の合うことよ!

フランスでテレビを見ていると、GやGの家族や友人が、あの人は~でね、とよく説明してくれます。
フランスではお馴染みの人たちのことを私は全く知らず、逆に、日本では誰もが知っている、たとえばドリフターズ松田聖子のことなんかを、フランス人の彼らは何も知らない。
そう思うと、自分が本当に遠い星から来たんだなぁという気がしてしまいます。

Youtubeにとびます。
ミッシェルベルジェ 『La groupie du pianiste (1980)』 フランスギャル 『Évidemment (1987)』  
写真は、今日の午後の散歩中、うす曇りの下撮った紫陽花です。

日本からのふるさと便

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日本からのふるさと便

数日前、とつぜん日本から宝の箱が届きました。

渡仏する直前まで働かせていただいていたお店の方々が送ってくれたようで、うれしすぎて、しばらく自分に何が起こっているのかわからず、おろおろしました。

大きな箱を開けると、いろいろなものが寄せ木細工のようにぎっしり詰め込まれていて、どれもこれも、なつかしい日本の味。食べると、脳にパーッとお花が咲きました。

なにより、これを選んでくださっている間、私のことを考えてくれたんだなぁ、と思うと涙です。
どうもありがとうございました。

ちなみに、両親からも何度か送ってもらったことがあるのですが、細かいものひとつひとつちゃんと書き出して英訳してくれていて、すごく大変な作業だなぁ、ありがたいなぁと思います。

ただ、日本から送ってもらうと、尋常じゃない送料がかかっていて、本当に申し訳ない・・・でもうれしい!(の、せめぎあい)

スーパーの自動清算機

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スーパーの自動清算

この前、近くのスーパー(モノプリ)に行ったら、新しくセルフでお会計が出来る機械が導入されていました。

フランスのスーパーのレジは(スーパーのレジだけじゃないけど)、とにかく待たされることが多いです。

一度、私の前に並んでいた若者が、買うはずであろうサンドイッチとジュースで食事を始め、清算する頃には食べ終わってパッケージのみ店員に渡すという光景を目撃しました。

待たされる原因は、どんなに混んでいてもレジ係の人がマイペースで同僚やお客さんたちとおしゃべりしつつ仕事をすること、ひとりひとりの買い物の量が多めなことに加え、それをきちんと自分の買い物袋にしまってから支払いをはじめること、あと、品物の値段がわからないときの対応、ですかね。

日本なら電話一本で別の係員が飛んできて調べに行くかすぐ価格を教えてくれるのですが、こちらは人手不足なのかなんなのか、なかなか誰も助っ人が来ません。ある時はお客さん自身が調べに行ったり、一度私の列のレジの係の人が、なぜか隣のレジの係の人のために調べに行ったりしました。

かと思うと、私の直前で急にレジの調子が悪くなり、しかたなくまた隣の長い列に並ぶのですが、後ろの人から先に移動するので、私はその列の最後に並ぶこの不条理。

話をモノプリに戻しますが、ここは他のスーパーに比べて店員さんの雰囲気がとても良いのですが、店の大きさのわりにレジがとても少ないので、特に待たされて、急いでいるときは避けるスーパーでした。

そんな折の自動清算機の導入。是非とも試したいけれど、使ったことがないので、結局いつもの長い列にならびつつ、目をハートにして自動清算機の方を見つめていると、その熱い視線をキャッチしてくれた、どうやら機械の案内係のような女性が、『買う物は多くない?』と聞いてくれたので、『多くないです!』と、急いで駆け寄りました。

女性は、日本の自動振込みの機械の使い方がわからないお年寄りに教えてくれる銀行員のように丁寧に教えてくれました。

フランスの店員さんは、つっけんどんな人もいればおしゃべりな人もいたり、なんだか楽しそうな人や機嫌の悪い人、とても感じの良い人や悪い人が渾然一体となっていて、日本の統一化された丁寧な接客はもちろん素晴らしいけれど、フランスのこの店員の人格丸出しの接客も嫌いじゃない、と最近思えてきました。そうでも思わないとやってられないってのもあるけど…。

写真は、パリのセーヌ沿いで撮った(と書かないとパリで撮ったってわからない)カモメ。近くに来てくれないかな、と思っていたら、ものすごく近くまで来て頭上を1周してくれたとてもやさしい子。

ホーリー・モーターズ

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ホーリー・モーターズ

数週間前、パリをバスで移動中に、巨大な廃墟を目にして、それが15年前によく買い物したり屋上に上ったりしていたサマリテーヌ(デパート)だと知ったとたん、しばらく愕然としました。

恥ずかしながら、閉店したことすら知らなかったという…そんな自分にも愕然。
閉店してから10年だそうですが、たった10年建物の手入れをしないだけで、こんな人類滅亡後の建物みたいになるんですね。

全てがキラキラしたパリの中だけに、そこだけ異様な存在感で、見つめていると、自分が一世紀ほどタイムスリップしたような感覚になりました。

その後すぐ、レオス・カラックス監督の『ホーリーモーターズ』という映画を見ました。
高校生のとき、監督の『汚れた血』を見て、その胸をしめつけられるような世界観に衝撃を受けました。

その後、過去作品の『ボーイ・ミーツ・ガール』を見て、それもすごく良かったのですが、『ポンヌフの恋人』では、おや?と首をかしげ、『ポーラX』に至っては、難易度が高すぎでもうわけがわからず、それ以来、カラックス監督の作品から遠ざかっていました。

それが先日、マイミク(ミクシィのお友達)さんが、日記におもしろかったと感想を書いておられました。

『ポーラX』のことがあるので、たとえわけがわからない内容でも、わからない感じを楽しめるもの、たとえばデヴィッド・リンチ監督の『インランド・エンパイア』とかだったらいいんだけど…、とつぶやいたら、『インランド・エンパイア』寄りかもというお返事。 『ポーラX』からどんなハンドルの切り方をしたら『インランド・エンパイア』になるのか、半信半疑でしたが、見たらおもしろかったです。

その劇中でサマリテーヌが出てきたのですが、閉店したことを知らなかったら、セットかと思ったに違いないです。

読んだ本

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読んだ本

この間、図書館で本を返却するために並んでいると、私の前の小学校低学年くらいの女の子が、分厚い本をたくさんエコバックにぎゅうぎゅうにつめこんでいるのを見て、私の闘争心に火をつけたため、いつもよりたくさん借りてしまいました。

そのうちの一冊、『Les Rues de sable』、というバンドデシネ(マンガ)。
前はああ書きましたが、試しに借りてみたら一気に読めたので(つまりおもしろかったのだろう)記録しておきます。

待ち合わせに遅れそうな主人公が、近道しようと入った路地から抜け出せなくなり、なんとか元の世界に戻りたいと、いろんな人に会って話しをするたび、希望が見えたり消えたり、という物語。

私はこのところ毎晩のように日本に帰国する夢を見ているんですが、それがこの間、とうとう本当に日本に帰ることができた、という夢を見て目が覚めたときのなんともいえない気持ちとシンクロするような物語でした。

上の写真は、17区の蚤の市に行ったときに、近くの公園で撮ったスズメです。

ちなみに蚤の市では、Gが私の見ていない隙に70cmくらいあるお菓子が出てくるガチャガチャのようなものを買っていました。

私が、そんな大きいものどこに置くんだとか、汚れてるし、とかGに詰め寄っていると、隣にいたムッシューが、『酢だね』と。

洗う方法なんか聞いてないし!ていうか、あなた誰ですか。
Les Rues de Sable
『Les Rues de Sable』 Paco Roca スペイン 2009
この表紙は、ゆいいつ動きのある場面を持ってきたんだろうけど、全体的にこんな雰囲気の話じゃないしヘンだとおもう。

フランス語の本を読む

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フランス語の本を読む

一年前に図書館に登録して以来、常になにかしらの本を借りています。
といっても、読むのはほとんど児童書です。
子供の世界はシンプルで、大人の小説のように数ページにわたって登場人物のひとりよがりな思考が続いたりしません(日本語だったらつきあってあげてもいいけど)。人の思考ほど突拍子のないものはないとおもいます。

私はまだほぼ勘で読んでいるので、前の文章から予想できるような事柄でないと翻訳できないようです。
その点、子供の本は、一行一行わかりやすくお話が進みます。

そして私の児童書選びで重要なのは、絵がついていること。時々素敵な絵が入ることで、モチベーションが保たれ、もちろん翻訳の助けにもなります。

じゃあマンガでいいんじゃないのっておもうんですが、こちらのマンガ(バンドデシネ)の台詞はたいてい全部大文字だし、手書き風でLIとUの区別もつかないし、字も小さかったりして、私には読みづらいのです。絵を見る速さに文章を理解する速さがついていけないのは、もどかしい。
バンドデシネの作家陣は独特の画風を誇っていて、とても芸術的でフルカラー、すらすら読めたらどんなに楽しいだろうっておもうんですが。

最近読んだ本は、『 Le Miraculeux Voyage D'Edouard Tulane 』 という、ウサギの人形の物語。

タイトル直訳だと『エドワードの奇跡の旅』ですが、日本語のタイトルは 『愛をみつけたうさぎ』になっていました。そっちのほうがなんとなくキャッチーな感じはするけど、一番大事なことをタイトルで先に言うってどうなんだろう。装丁も海外版の方が好き。

この本を借りるとき、いつもの図書館の方が、「私この本大好きなの!」と目を輝かせながら声をかけてくれました。一年通ったけど声をかけてもらったのは初めてで、うれしかったです。

内容はというと、前にも書いたように怖がりな私は、意地悪な人やかわいそうな人が出てくるたびに読むのを止めたくなったのですが、挿絵の素晴らしさ、比較的わかりやすい文章も手伝って、最後まで読むことが出来ました。いいお話だったとおもいます。

ちなみに、上の鳥さんの写真は近所のセーヌ川沿いを散歩したときに撮ったものです。鳩とたわむれていたんで鳩かと思ったけど、君は鳩なのかな。

このところ、お散歩日和が続いています。
Le Miraculeux Voyage D'Edouard Tulane
『Le miraculeux voyage d'Edouard Tulane』 ケイト・ディカミロ 著 アメリカ 2006
愛をみつけたうさぎ―エドワード・テュレインの奇跡の旅
こちらが日本語版

オルセー美術館

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オルセー美術館

先週の日曜日、もと「駅」でお馴染みの、オルセー美術館へ行って来ました。

毎月第一日曜日は無料です。
これは混むだろう、と覚悟してたんですが、意外と待たずに15分くらいで入れました。会場内も、印象派界のアイドル、ゴッホのお部屋以外は特に普通の混み具合で、ちゃんと見られましたよ。

前にも一度(15…年前)来たのですが、あらためてすごい作品のオールスターぶりに圧倒され、複雑な建物の作りに翻弄され、もう次に何を見ていいやら迷いながらさまよううちに、異様な疲れが。幸い椅子はたくさんあったので、休憩しつつ鑑賞。

特別展の「ピエール・ボナール」、15…年前に市立美術館で見た「浴槽の絵」のめまいがするような色彩に魅了されて、以来何度か通いました。日本で画集も買いました。
ボナールの作品全部が好きなわけでないし、私の記憶の中のボナールと実物のボナールは微妙に違いましたが、「浴槽の絵」はやっぱりよかったです。

もうひとつの特別展、「Dolce vita ? Du Liberty au design italien」。イタリアでの(1900-1940)の絵画や家具などのデザインの展示でした。伊ではアール・ヌーヴォーをstyle libertyと呼んでいたようです。

この展示のことは全く知らず、偶然たどり着いて鑑賞。

これが、けっこう良かったです。新しいことをしようと奇をてらっているわけでもないのに、今見ても新しい。洗練されたものは、時代を経ても古さを感じさせませんね。あくまで本当に素晴らしいものの真髄をついている、と感じました。

おなじみの絵画や彫刻にちょっと飽き…いえ、訂正、ちょっと疲れていた私は、やっぱり古い時代のものでも現代のものでもいいから、もっと新しいもの、今まで見たことないようなものを見たいんだ、とおもいました。

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そんなに長居したつもりはなかったのですが、お昼の1時ごろに来て、出る頃に時計を見たら5時近かったです。久しぶりの美術館は楽しかったな。

善良な町長の物語

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善良な町長の物語

「善良な町長の物語」という小説を読みました。

あらすじを読んだだけでは、この物語のおもしろさはわからないとおもいます。まあ、あらすじだけで、その物語がおもしろいかなんてわかったためしがないんですが。

とりあえずそのあらすじ…善良な町長ティボが、その秘書であり人妻のアガーテに恋をする…という話らしい。

私はとたんにいやな予感がしました。普段から町民の視線を一番浴びている人の道ならぬ恋。万が一その恋がうまくいったとしても、そのことはすぐ世間に知れ、善良と言われる男の裏の顔などとでたらめを捏造され、町民からののしられ、ラース・フォン・トリアーの映画ばりにふたりは不幸になっていくんだろう、と。

年のせいか、最近物語の中で、主人公がピンチになったり、誰かに陥れられたり、とにかく悲しい状況になることに耐えられなくなってきました。読んでてつらいのです。

このごろは、なにか事件がおこるたび、数ページ先を読んで事件が解決するのを見届けてから、よし、大丈夫!と、自分に言い聞かせ、ようやく読むことが出来たり、時には読み飛ばしたりします。

なので、こういう嫌な予感のする本はふつうなら絶対買わないのですが、ベラスケスの「鏡のビーナス」の絵画の装丁がとても上品で素敵だったのと(海外版の表紙のデリカシーのなさよ。)、少し冒頭を読んで、物の見方やその表現が、興味深いとおもったのと、この文章を書く人はラース・フォン・トリアーじゃない、と思えたので。

心に何か残るってタイプの物語じゃないけど(あ、わたしにとってはってことで…)、読んでいる間は楽しくって、ふたりが恋に落ちていくあたりでは、あまりのかわいらしさ、描写のおもしろさに、ちょっと声に出して笑ってしまったほどです。この部分だけの物語を別に一冊読みたいくらい。

翻訳者さんも上手いとおもう。翻訳された文章を違和感なく読めるって、なかなかない。

途中、もちろんふたりはつらい状況になったりもします。でも、たぶんこの物語が誰視点なのかということに影響を受けていて、全体的にあたたかいものに包まれ、ほんわか楽しく読めました。
善良な町長の物語
『善良な町長の物語』 アンドリュー・ニコルスコットランド
Ce bon M le Maire
ちなみに、フランス版。 この表紙だったら、手に取らなかったであろう。

また蚤の市

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また蚤の市

晴れた土曜日、モネの描いた三角屋根でお馴染みの「サン・ラザール駅」近くの蚤の市に行って来ました。オペラ座に近いので、この後、お昼は日本食を食べ、BOOK OFF、日本食スーパーという流れで楽しめていいなってことで。

パリの蚤の市は、いつも行く近所のものとは雰囲気が全然違いました。

売られている物が、あきらかに家庭の不用品ではなく、なんだか価値のありそうなアンティーク。売ってる人もプロの業者っぽく、高そうだな~と、最初ちょっと心配しました。

Gが、銀色に輝くコンコルドの置物(野球のバットくらいの大きさ)の値段を聞いたところ、350€(約47,600円)と言われて諦めてました。ソレどこに置くんだ…と内心ドキドキしていた私はホッとしましたが。

まあそういうのは例外として、よく見ると、私の探している小さなものは買えない値段ではなかったので、これは簡単にすごく良いものが見つかるかも!と期待に胸をふくらませてうろちょろ…。

しかし、ある程度良いとおもうものはあるんだけど、欲しいものってなかなか見つかりません。

それでも、手にとって見ていると、お店の人が、食器は裏のハンコが重要だとか、これは手作りでね、とかいろいろ教えてくれました。私も少し慣れてきたので、この模様がかわいらしいとか、形が上品ですねとか、少し言えるようになってきました。

最近、誰かと話していておもうのは、特別なことって言わなくてもいいんだってこと。普通のことを話すだけで、いいんだと。

結局、私はあるお店で銅製の小皿を買いました(下の写真の)。時計とか、小物をちょっと置いておくお皿を探していたので。少し黒ずんでいたのですが、帰ってからお酢とお塩で拭いたら、けっこうきれいになりました。

  vaisselle2
他に今探しているものは、この間拾ったトランプを入れる写真立てと、ペン立てです。ペン立て、とりあえずのつもりだったヨーグルトの空き瓶を、気づいたらずっと使ってる…。